みずほの歴史

みずほの歴史

1瀬木学園の始まり

昭和14年(1939年)12月に、名古屋市内で病院経営を行っていた瀬木本雄医学博士・瀬木せきとその息子である瀬木本立医学博士は、瀬木財団法人を設立しました。翌年、4月には、「時代の女性に何としても科学的なものの見方・考え方と保健衛生的な知識を身につけさせたい」という強い願いから、名古屋の文教地区として知られていた瑞穂が丘に、瑞穂高等女学校を開校しました。これが、今日の学校法人瀬木学園の始まりです。
(写真左:瀬木本立 中:瀬木せき 右:瀬木本雄)

日本で最初の短期大学のひとつ

戦後間もなく、学制改編によって瑞穂高等女学校は瑞穂高等学校となりました。さらに、短期大学制度の制定に伴い、昭和25年(1950年)に本学は、健康や栄養という分野を通して社会や日々の営みに貢献することができる「女性の力」の育成を目指し、日本で最初の短期大学として産声をあげ、女子の高等教育という道を開きました。 昭和25年の開学以来、建学の精神である「保健衛生の学びを基に科学的思考のできる女性の育成」のもと、学科や専攻、コースの編成など、時代のニーズに合わせて大学を発展させてきました。今日では、13,100名余りの卒業生が、栄養士や養護教諭、保育士など、社会の第一線で活躍しています。

本学の原点のひとつ、母子手帳

昭和35年(1960年)に学園理事長、短期大学長、校長に就任した瀬木三雄医学博士は、疫学研究において国際的に著名な東北大学名誉教授であり、「瀬木の帽子」と呼ばれる胎児の基底顆粒細胞集団の発見者です。そして、今日では当たり前となっている「母子健康手帳」の前身である「母子手帳」の生みの親でもあります。 昭和22年(1948年)に旧厚生省の初代母子衛生課長に就任し、母と子を切り話した考えに違和感を覚えていた瀬木三雄は、これまで妊娠から出産までの記録をしていた「妊産婦手帳」に小児の内容を加え、「母子手帳」と改名しました。その後も、母子衛生に関する必要な内容を整備するなど母子衛生の基礎を築き上げ、母子手帳を通して母子の健やかな心と体の成長に大きく貢献しました。

沿革

・1939年(昭和14年) 瀬木財団法人設立
・1940年(昭和15年) 瑞穂高等女学校開校
・1950年(昭和25年) 瑞穂短期大学開学
・1956年(昭和31年) 栄養士養成施設の指定を受ける
・1969年(昭和44年) 養護教諭二種普通免許状授与の課程認定を受ける
・1994年(平成6年) 愛知みずほ大学短期大学部と改称
・2013年(平成25年) 新校舎完成
・2014年(平成26年) 子ども生活専攻設置
・2017年(平成29年) 秘書士の資格教育指定校となる
・2018年(平成30年) 愛知みずほ短期大学に改称/現代幼児教育学科設置 幼稚園教諭二種免許状授与の課程認定を受ける